子供たちの通知表がきました。妻は、通知表が来たら、いの一番で確認します。私は、10日以上経ってから、「そういえば、子供たちの通知表見てないなあ。のぞいてみようか。」という感じです(笑)
多くの人の価値観では、妻のほうが「子供に関心があって、愛があるいい親」であり、父である私は、「子供に無関心で、愛がない親」となります(苦笑)
小学生、中学生、高校生の三人の通知表を見て、妻は一喜一憂します。長女は赤点が三つもあり、次女の成績は中の下(苦笑)妻は、「なんで、うちの子はこんなにできないんだろう」と、がっかりんこします。一方、私は、無喜無憂です(笑)
一般的に、親が高学歴の場合は、子供にも「いい高校に入って、いい大学に入りなさい。」と、「子供の将来を思って」厳しく指導するようです。私は、そんな「負の連鎖」を私の世代で、終わりにしたいので、ガミガミ言いません。どころか「ガ」も言いません(笑)
もし彼女たちが、本気でやりたいことがあって、行きたい大学や学校がある場合なら、いくらでも応援しますが、今のところ、我が家ではそれはありません。
「子供の将来を一緒に考えてあげるのが親の勤めでしょう。」というエネルギーも飛んで来ますが、もし子供たちが私に相談氏にきて、「真剣に悩んでいるので、パパも一緒に相談に乗って欲しい」とあれば、いくらでも応援します。でも、本人がその気もないのに、あれこれ言うのは、干渉かもしれませんね(苦笑)
こう考えると、本来の愛とは、人に関心を持って、干渉することなのでしょうか?
私の創った「ベクトル用語集」には、愛を定義しています。株式会社プリマベーラの390名の従業員さんの教科書です。「仕事をする上での価値観はそろえようね」というスタンスで、価値観教育を今までたくさんしてきました。
そこでは、「愛は関心を持つこと」と定義していますが、これは、あくまで会社を経営をするうえでの定義です。ピラミッド組織をうまく成り立たせるには、愛の定義をこのように捉えたほうがやりやすいから、この定義にしています。
では、私が本来考える愛とは、どのようなものかというと、愛とは、相手に干渉しないで、相手を尊重すること、そう思っています♪
家族というのも家長である父親を頂点としたピラミッド組織構造をしています。トップである父親がいて、「底辺に」子供たちがいる。ピラミッド組織で考えると、愛とは「関心を持つ」ことになるから、子供たちに干渉することになります(苦笑)
私は子供と丸い対等な関係であると思っているので、個として、一応尊重しています(笑)なので、子供たちの将来に関してガミガミ言わない。彼女たちが本当に困ったら、そのときは、人としていつでもお手伝いする、そんなスタンスです♪風通しがいい関係かもしれませんね♪
若い頃は、家庭教師もしたことがあります。子供たちにいくらでも勉強も教えることもできます。が、あえてしない(笑)気乗りしない子供たちに教えることは、干渉だから(苦笑)それを、強制して教え込むのも「関心」「干渉」という愛。私は、その愛が「重たい」ので、私はしない(笑)
重たい人生や重たい人間関係よりも、軽やかな人生、軽やかな人間関係を選びたいので♪どちらが正しいとか、そういうことではなく、私は自分の上機嫌のために、人の問題に立ち入らないということをしています♪すると、劇的に人間関係がスムーズになります♪まさに「劇的に」です(笑)
組織の中に、どっぷり入ると、「不干渉の愛」を貫くことは、ケースバイケースで難しくなりますが、自分のプライベートだけでも、この「不干渉の愛」でいてみたらどうでしょう?干渉するのは、自分のことだけにしたらどうでしょう?子供の問題や妻の問題や親の問題や友達の問題や社会問題から解放されて、自分問題にだけ集中したらどうでしょう?
自分の機嫌問題にだけ集中したらどうでしょう?ハッピーリンコリズミスト(ハッピーの最上級です♪)に近づいていきます♪
「吉川さん、あんたはどうして、そんなにのほほん、ストレスがない(ように見える)生き方なんですか?」と聞かれますが、根本の「愛の定義」が違うのかもしれませんね♪
重たい「干渉の愛」で生きるか、軽い「不干渉の愛」で生きるか♪ご自身で、選べばいいですね♪自分の思考、ものの見方、考え方で人生は変わります。愛という定義一つで人生が変わる♪
そんな話をしたくて、本日は子供の通知表について語ってみました(笑)
今日はフォトジェニックな写真がなかったので、一枚アップします♪
淡路島の美しい朝日を浴びながら、淡々と黙々とゴミ拾いをする落ち穂拾いみたいなゴミ拾い仙人(笑)淡路島でのお話はまた今度♪
No Gomihiroi, No Life♪I love myself♪
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