たまーに、子供の宿題を見てあげることがあります。
「父親なんだから、もっと宿題を見てよ!」と妻から言われることも昔は時々ありましたが、自由人を貫くと言われなくなります(苦笑)エネルギーが、すっと立つと、人は何も言えなくなります(笑)忍法「超然」の術と言えるかも知れませんね♪
宿題を子供と一緒にすると、イヤイヤ泣きそうになりながら宿題をする子供の感情と共振をするので、あまり得意な時間ではありません。教えるのは、得意なのですが(苦笑)元々、家庭教師を生業にしていたこともありますので。
三女の小学校一年生の愛莉ちゃんは、地元の公立の小学校に通っています。担任の先生が、年配の女性の先生。
「子供はこうあるべき、教育とはこうあるべき」
というガチガチの理論を持っています(苦笑)宿題は毎日、山のように2時間分くらい、出されます(苦笑)
15時半に子供は帰宅をすると、軽くおやつを食べて習い事に。帰ってくると18時。それから夕食。夕食がおわると、「宿題をやりな」と妻から、プレッシャーを受けて、宿題をはじめます。気分が乗っているときには、素直にやりますが、乗らないときは、半泣きしながら宿題をします。
宿題の量もてんこもり(苦笑)国語と算数のプリントが三枚、教科書の音読、自分が選んだ本の音読、算数カードの練習、さらには自由学習。それを親がチェックして、マルつけをします。間違えたところは、やり直しさせます。2時間くらいかけて、宿題をおわらせて、お風呂に入ったら、もう21時過ぎ。翌朝7時には起きないといけないので、寝る時間ですね(苦笑)
平日は、楽しく遊ぶ時間すらとれずに、何かをこなすために生きているような感じですね(苦笑)
この日も、宿題がおわったのが21時43分に・・・。学校に行って勉強して、塾で勉強して、家でも宿題で勉強をする。社会人で言えば、会社で働いて、自己啓発で英会話スクールに行って、家に残業を持ち込んで働くようなものですね(笑)
学校の宿題も、会社の仕事も、楽しければいいですが、多くの人にとっては、楽しくないものかも。とくに宿題は、楽しくて仕方が無いという人は皆無かもしれませんね(苦笑)
「都会の小学生とか、私立の小学生なんて、もっと宿題が出るよ。公立の小学校なんて、まだ恵まれてるほうだよ。」
と、比較をして、自分たちを慰めることもできますね。すると、宿題漬けの学生生活は当たり前と、自分の信念を創りあげ、その結果、あまり楽しくない現実を創っていくことになります。
私たちが「当たり前、常識」とされていることは、多くの場合、楽しくない現実を創るための思考回路を創り出します。
もし、今の現実が、望む現実でないのであれば、
「なぜ、何のために、こんなに宿題をするのか。」と疑問を持つことが大切ですね♪
根本的に考えれば、自由に楽しく生きる「権利」があるのに、その権利を手放して、いつの間にか我慢、義務で生きているわけです(苦笑)
子供たちの宿題を見るたびに、子供たちの悲哀を感じずにはいられません(苦笑)それをわかって、宿題やテスト勉強を今日も昨日も教えてあげている父親としての私がいます(笑)
「宿題しないと怒られる」
「勉強しないと取り残される」という不安、恐怖から、子供たちも、やらざるを得ない。なので、私に助けを求められれば、宿題もお勉強もお手伝いをします。不安・恐怖・比較というスリル社会を、俯瞰して、楽しく生きられる工夫はできますね♪
もし、子供たちが我慢の臨界点に達して、
「もう、こんな生活イヤだ」と言えば、好きにさせます(笑)宿題をやらないのも自由、学校を辞めるのも自由(笑)私は上機嫌宇宙一なので、人に不機嫌を押しつけることはしません(苦笑)
「宿題や勉強をするのは、学生なんだから当たり前」という価値観を植え付けられていますが、上機嫌という観点から考えると、大きな疑問符がつきます(笑)
「人は、上機嫌に生きるのが当たり前」と言えたら素適ですね♪
子供たちが、上機嫌に生きるのは極めて難しい社会構造だ、ということに気付くと、またいろんな選択肢が生まれるかも知れませんね♪
No Gomihiroi, No Life♪I love myself♪
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